“息絶えるまで、歌い続ける”という。
“えん歌の申し子”は、幼少の頃より数々のグランプリを手にし、6歳の時にはすでに100本を越えたという。
地元のテレビ関係者は「まさに天才少女でしたよ」と絶賛する。
天性とも言える艶と張りのある声に、抜群の歌唱力は将来の大器の予感と10年に1人の逸材という期待が加わり、噂が噂を呼んだ。
作曲家 高木東六氏に「末恐ろしい!」と云わしめ、NHKのオーディションを最高得点で合格。
故、藤山一郎氏を「日本の演歌の財産だ」と唸らせ、業界の注目を浴び15歳堂々のデビュー。
着実に実力をつけ大海を乗り切るであろう“えん歌の申し子”は、そのとき「えん歌」そのものになっている。